須賀敏夫さんのページ (2)


(11)   モロッコ点描 (H26・2・21寄稿)

 

アフリカ大陸の北西端に位置し、チュニジアやアルジェリアと共に「マグレブ地方(日の沈む地方)」と呼ばれているモロッコは、「日出づる国」日本に住む我々にとって遠く、そして魅惑に満ちた国である。

遠いが故に情報が少なく、モロッコには馴染みの薄いイスラム教という宗教、赤茶けた不毛の砂漠といったイメージが確立されていて、その良さを理解するのには難しい国であり、訪ねるためには事前の学習が欠かせない。

実際に訪れて緑豊かな農村風景に驚き、親しみやすい人柄に感動し、他の国にはないメデナ(旧市街)やスーク(市場)の魅力にとりつかれ、人と自然と歴史が織り成す神秘的な国の虜となった。

ベールを被った神秘的な女性、メデナやスークの喧騒、多彩な古跡、アトラス山脈の大自然、果てなく続くサハラ砂漠。 モロッコの魅力は限りない。

数年前、南スペインを旅した折、ミハスの丘陵地から眼下に広がるジブラルタル海峡の対岸を臨み、アフリカの大陸棚を目の前にして急遽予定を変更し、 スペインのアルヘシラスから約2時間かけてフェリーでモロッコのタンジールに渡り少しばかり足跡を残している。「タンジール」はモロッコの海の玄関口といわれる港町で、街外れのスパルテル岬からは逆にスペイン領が望め、意外とヨーロッパに近いという印象をうけた体験がある。モロッコには実質2度目の入国である。

モロッコにはヨーロッパ経由での入国が効率的であるが、何時もながらの格安旅行のため今回はカタール航空でドーハで乗り継ぎ、カサブランカに向けて約23時間のフライトとなった。

 モロッコの歴史を紐解くと、紀元前3,000年頃にはすでに先住民族のベルベル人が住んでいたようであるが、その後、勢力争いによってフェニキア人、カルタゴ人、ローマ人、アラブ人、スペイン人などの支配が繰り返された混乱の時代を経て、1666年に現在の王朝であるアラウー朝によってモロッコの統一がなされ、首都がフェズと定められた。(現在の首都はラバト)

しかし、19世紀にヨーロッパの国々のアフリカ進攻により、モロッコもフランスと争うこととなり、1912年に敗北してフランスの保護領となった。第2次大戦後、1956年にフランスからの独立を勝ち取り現在に至っている。

「ベルベル人からローマ帝国の支配」「アラブ人によるイスラム化」「イスラム王朝の成立と攻防」「アラウー朝とフランス統治」とモロッコの複雑な変遷を読み取ることができるが、残念ながら自分の筆力ではとても説明できる内容には至らない。

素敵な遺産や美しい景観に感嘆した旅を辿りながら点描してみることとする。

  

カサブランカ

映画の舞台として有名なカサブランカはモロッコの玄関口で、人口の一割以上の約300万人が住んでいる最大の都市である。足を踏み入れるとエレガントで気品に満ちた新市街と古き良き時代を彷彿させる旧市街が交じり合い、いたるところにスペインやポルトガルの面影が色濃く残されている。カサブランカのシンボルは「ハッサン2世モスク」でミナレットの高さは210m、最大25,000人が礼拝できるアフリカ最大のモスクである。

マラケシュ

モロッコ自慢の観光都市でナツメヤシと城門に囲まれた街である。かつて公開処刑場であった「ジャマ・エル・フナ広場」を中心に生命力が渦巻き観光客を圧倒する。広場は夕刻になると屋台が並び、大道芸人が集い一大アミューズメントパークへと変貌する。王宮の「バヒア宮殿」は国王不在の折には内部が開放されていて見学することができる。

ワルザザート

マラケシュから北アフリカの最高峰ツブカル山を眺めながら、アトラス山系2,260mの「テシュカ峠」を越えると赤褐色の美しいカスバの世界が広がる。重厚な土塀の城塞が小山にそびえる「アイト・ベン・ハッドウ」は、映画の舞台となったことでも有名なカスバである。頂上にある貯蔵庫跡は要塞として機能していた最後の砦としての原形を留めている。

カスバ街道

ワルザザートからエル・ラシーデアまでの道は通称「カスバ街道」と呼ばれていて、通り沿いに大小さまざまなカスバを見ることができ飽きることがない。

ネリールオアシスを過ぎて少し行くとやがて切り立った岩壁が現れる。高さ200mもの絶壁が迫る迫力溢れる雄大な景観に驚く。「トドラ大渓谷」である。赤茶けた岩肌をアトラス山脈の雪解け水が削ってできた景勝地で、アメリカのグランドキャニオンを彷彿させる。

エルフード                                              

街から約1時間のところ、世界最大のサハラ砂漠の北のはずれに雄大で美しい「メルズーガ大砂丘」がある。モロッコの砂は赤みを帯びているのが特徴で、ピンク色の砂丘が幾重にも折り重なる様相は筆舌に尽くせない印象である。砂丘は日の出観光のメッカであり、ラクダに乗って異国情緒を味わうのも楽しい。

フェズ

モロッコ最古のイスラムの都であり、複雑怪奇な雰囲気をもつ世界最大の迷路と称される旧市街は、「生き続ける中世の迷宮」といわれるほどに中世の暮らしがそのまま残されており、未だ車は入れずロバが貴重な輸送手段となっている。衣・食・雑貨それぞれの専門店街によって市場が形成されていて狭い迷路の店先を眺めているだけでも楽しい。ガイド無しではとても立ち入ることができないが、一度歩けば再度引き込まれそうなそんな魅力が詰まっている。

メグネス

旧市街には最初の王ムーレイ・イスマイルの「霊廟」やモロッコ一の美しい門「エルマンスール」があり、造形の素晴らしさと共に厳かな雰囲気が漂っている。近郊には聖地「ムーレイ・イドリス」があり白壁の家が小高い丘に密集

していて美しい。また、ローマ時代の貴重な遺跡「ボルビリス」も近くにあり神殿やモザイクなどが残されていて過ぎ去った時空に想いを馳せる。

ラバト

最近世界遺産に登録された王都であり首都である。歴史を彩る史跡と大西洋に面した街は優雅で美しく、この街には国王の普段の住まいの王宮がある。又現国王の祖父モハメッド5世の「霊廟」があり、モロッコ技術の粋を集めた見事なモザイクを間近に見ることができる。霊廟の隣には作りかけのモスクが残されていて未完成の「ハッサンの塔」を眺めることもできる。

 

 北アフリカのモロッコは、年中温暖な気候に恵まれたイスラムの王国である。王都ラバト、マラケシュ、フェズ、メグネスの都は過去の偉大なる遺産を継承しておりそれぞれが世界遺産に指定されている。

国民の殆んどがイスラム教徒である生活の基本には、一日5回の礼拝、アルコールの摂取禁止、豚肉の摂取禁止、女性は他人に肌を見せないなどというイスラムの教えによる習慣が数多く見うけられる。

公用語はアラビア語であるが、義務教育でフランス語が教えられておりフランス語、英語、スペイン語なども通じる。

鉄道はカサブランカとラバト、フェズ、マラケシュを結ぶ幹線が整備されているものの、4,000m峰を幾重にも連ねるアトラス山脈以南には路線がなく車をつかっての移動となるので余裕をもった旅程を作る要がある。

モロッコは砂漠の国ながら、農業は穀物と砂糖を除いてほぼ自給自足が行われており、漁業や鉱業生産も盛んでアフリカでは意外と恵まれている国ではないだろうか?

 

近隣の国々では絶え間なく政変による紛争が続いているなかで、モロッコは比較的治安が安定しており、未知の世界を彷徨うものにとって危惧の念を抱かせない安全・安心な魅力溢れる国である。

 



花 粉 症 H25・2・19寄稿)

 

今や国民病ともいえる花粉症は、花粉によって生じるアレルギー疾患の総称で、アレルギー性鼻炎とアレルギー性結膜炎がその主症状である。

原因の約7割がスギ花粉によるものであるが、ヒノキやブタクサなど様々な花粉によっても症状が引き起こされる公害?である。

花粉症拡大を招いた一因は、戦後・復興期の誤った林業政策にあると云われている。戦後に建築材が不足し、成長の早いスギが国策として集中的に植えられたが、木材輸入が自由化されると安価な外材が流れ込み、伐採されないまま樹齢30年前後を迎えた国内のスギが一斉に花粉を飛ばすようになった。

花粉症患者は年々増加の傾向にあり、低年齢でも発症しやすくなったこと。高齢になっても治らなくなってきたことなどが背景にある。

花粉は早ければ1月から飛び始め5月上旬まで飛散する。最近NHKの気象情報のローカル版でも日々の花粉飛散情報が報じられるようになった。昨夏の猛暑の影響で、今春の関東地方のスギ・ヒノキの花粉の飛散数は例年のおよそ1.5倍、昨年に比べると3〜6倍になると見込まれ、花粉症グッズの売れ行きも出足好調と報じられている。

花粉の飛散量や体調にもよるが、だれかれ構わず、ある年いきなり患者にしてしまうのが花粉の怖さである。健康自慢の人も容赦なく仲間入り、色々のアレルゲンを有する特異体質者は特に要注意である。

初期症状は、くしゃみ・鼻水・鼻づまりなど風邪の症状と似ているが、目の掻痒感を伴うことが多く、前頭部が重く鬱陶しく感じられ、憂鬱な気分に陥る。

花粉症対策は、予防と治療を上手に組み合わせることが大事で、一般的な注意としては、諸事にも通じることながら十分な睡眠と規則正しい生活習慣を身につけ、正常な免疫機能を保つことに尽きると云われる。

基本は、抗原の除去と回避である。顔をマスクとメガネで覆い、花粉をシャットアウトして家の中に花粉を持ち込まないこと。花粉の飛散が多い日や時間帯はなるべく外出を控えること。洗濯物や布団は花粉をよく落としてから取り込むこと。また、酒や煙草を控えることも鼻の粘膜を正常に保つうえで有効であると云われている。

治療薬は、重症度に応じて抗ヒスタミン薬や鼻噴霧用ステロイド薬などさまざまな薬が使われるが、症状の重い場合は、花粉の抽出液を使って免疫を作る「抗原特異的免疫療法」が効果的と云われている。これほど患者が多いのに、1錠で症状をピタリと止める「特効薬」が開発されないのがもどかしい。

花粉症の症状は人それぞれであり、市販薬を購入する場合でも、まずは耳鼻咽喉科や眼科で正確な診断を受け、医師と相談することで自分の症状に合った対処療法を見出すことを薦める。とは「ヤブ医の娘」の伝授である?

斯く云う私も30代半ばで突然花粉症となり、色々と手を尽くしたが完治するまでには至っていない。長年に亘って「相思相愛」の関係にある。

今や先進諸国で、日本ほど花粉症被害が深刻な国はない。元凶を問われるスギは、古来より日本の庶民生活に密接な木で、数ある樹種の中で最も人間に貢献した木であることを考えると複雑な思いである。

気温が高く暖かな南風が吹く日は、花粉が多く飛散するので要注意!

花粉だけでなく、間もなく大陸からは偏西風に乗って「黄砂」が飛来することとなりマスクが手放せない。メッシュ網目の改造マスクに人気殺到である。

 

※ 今年は早々と中国から微小粒子状物質PM2.5による大気汚染騒動が報じられ、また最近ではより危ない猛毒・ダイオキシンの飛来情報も入ってきて、 我が国は、国を挙げて領空侵犯?に対する対応に追われることとなった。

発展途上の中国は、深刻化する大気汚染に対し、日本の高度経済成長期の経験を見習い、早急に対策を講じる必要がある。国民の健康を第一と考え、尖閣諸島周辺での無駄で不穏な行動以前の問題として対処すべきである。そうでなければ何時までも無法国、道徳心なき迷惑な三流国家の感は免れない。先の温暖化の問題と連動した地球全体の環境問題である。  ハックション!

旅への誘い (10) トルコ 点描 (H24・12・31寄稿)

大自然と東西文化に彩られ、さまざまな表情を持つトルコには、文明を築いた先人達の遺産や巨大帝国の足跡などが多く残されており、自然がつくる不思議な景観なども満ち溢れていて驚嘆する。

トルコの国土の約3%はヨーロッパ大陸に属し、残りはアジア大陸である。エーゲ海、地中海、黒海に面するこの国には、ペルシャ王国、ローマ帝国の時代から要衝として栄えた都市が点在していて歴史を物語ってくれる。

「イスタンブール」はローマ帝国、ビザンチン帝国、そしてオスマン・トルコの中心として栄えた都であり、「アヤ・ソフィア」はその壮絶な歴史そのものを表す建造物である。ビザンチン帝国時代にはギリシャ正教の大聖堂だったが、オスマン帝国によって征服されると、イスラム教のモスクに改装され、キリストなどの人物を描いたモザイク画は破壊され、漆喰で封印されたものもある。そうしたモザイク画が再び姿を現したのはトルコ共和国の時代に入ってからで、漆喰は取り除かれ、モスクは博物館として生まれ変わり一般に公開されている。近代建築技術をもってしても及ばない素晴らしい建物で、キリスト教のモザイク画に感動を覚える。「ブルーモスク」の前の広場に佇んでいる時にイスラム教の礼拝の時刻を知らせる鐘が鳴り始め、モスクの中では熱心に祈る大勢の人々を目にすることができた。オスマン朝スルタン(支配者)の居城として使用された「トプカプ宮殿」には、その財力と権威を偲ばせる宝物や陶器の数々が展示されていて、厨房跡で馴染み深い古伊万里の器を発見した。シルクロードがトルコまで続いていていたことを再認識し、感慨深く日本の皿を眺めた。

イスタンブールの約250km西、ゲリボル半島から車ごとフェリーに乗り、ダータネルス海峡を渡りヨーロッパからアジア大陸へ。この国の地理上の位置を改めて認識しエーゲ海を南下して長い歴史を追うこととした。

木馬伝説で知られる「トロイ遺跡」には、約3,000年前の神殿跡などが残り、今も発掘作業が続いている。トロイ戦争を題材にした「トロイのヘレン」という映画を観て以来、ずっとこの地を訪れたいと思っていた。史跡を守る門番のように遺跡の入口に立つ木馬像を眺めながら過ぎ去った時空に想いを馳せた。

ヘレニズム文化の中心地「ベルガマ」、ローマ帝国の中枢都市であった「エフェソス」の古代遺跡巡りをした。エフェソスは、聖パウロが来訪したとの聖書の記述がある重要な地でもある。小高い丘に残る巨大な劇場跡や大理石の支柱にギリシャの神殿やローマの遺跡と共通点を見出し感慨ひとしおであった。

「パムッカレ(綿の城)」の石灰棚に着くと、目の前に白く幻想的な世界が広がる。台地上部から湧き出る湯に含まれる石灰分が、長い年月をかけて結晶して地面を覆い、石灰棚をつくりあげたもので、棚に溜まった水は空を映しているのか、美しいコバルトブルーに輝き、自然の美しさに感動する。古来、この地はトルコ有数の温泉保養地で、近くの「ヒエラポリス遺跡」には、石灰石で造られた浴場の跡も残されている。自然の中で温泉水に足を浸していると心身ともにリラックスでき癒される思いであった。

「カッパドキア」は南北50kmに及ぶ奇岩地帯で、見渡す限り広がる山々の岩肌はピンクにホワイト、ベージュと微妙に色を変える地層が重なっている。その狭間にキノコやラクダなど様々な形をした奇岩がそびえ立っていて、訪れるものに感激の視界を提供してくれる。トルコに旅したいと思っていたのはこの景色を観たかったからかも知れない。噴火したエンジェルス山の火山灰が凝灰岩となり、風雨に浸食されて様々の形の奇岩を形成したこの地にはその後、ローマ人の迫害から逃れた初期キリスト教徒たちが移り住み、岩山や奇岩を削って教会や住居とした。「ギヨレメ野外博物館」の洞窟教会に残る壁画を眺めながら先人たちの祈りに思いを馳せた。

セルジュク朝の首都となって栄華を極めた「コンヤ」は、高度な芸術や学問が興隆し、多くの神学校が開かれたところである。現在、陶器博物館となっているカタライ神学校もその一つで、ドーム型の天井を見上げ、壁一面に貼られた青いモザイクタイルの美しさに圧倒された。また、大理石の入口は往時の石彫りの最高傑作とされている。

現在の首都「アンカラ」では、トルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマル・パシャの棺が安置されている「アタチュルク廟」を訪ねた。ちょうど、衛兵交代の時間で高く足を挙げて行進する衛兵たちの儀式の姿を間近で見ることができた。アタチュルクは「建国の父」を意味する称号で、建国時、政教分離政策をはじめ宗教的建造物の一般開放など様々な改革を断行した英雄的存在であったと崇められている。

トルコはイスラム教国で、戒律が厳しい国だと思っていたが、スカーフで顔を覆う女性も少ないし、酒も売っているし、他国と変わらぬ自由な国である。歴史的背景もあり親日家が多いといわれるトルコ。旅を通して改めてこの国に強い親しみを持った。