会員の動向
22・7・18 山脇俊彦さんの帰高報告
小生、7/10(土)〜13日(火)にかけて所用のため帰高しておりました。
その節、森岡、鵜飼氏等の呼びかけに応じて開かれた三十会有志の会に参加させて頂きました。
7/12(月)午後6時30分よりホテル日航高知 旭ロイヤル5階のビヤガーデンに集合したメンバーは
廣末都子、武市育子、河邑時子、宮原順子、福永恭子
井上光武、山脇俊彦 以上、女性5名、男性8名。
最初に小串泰三君の逝去に対し哀悼の意を皆で表し、森岡君からは三十会の名で打たれた弔意電報の文面が披露されました。関東地区会からはお花を贈ったことを伝えました。
また、現在高知日赤に入院中の松村五夫君の状況について、この日の午後、松村夫人と共に病院を訪ねた小生から報告を致しました。
6/4入院以来、意識の回復が見られない状況の中、夫人、看護士、小生らの呼びかけに応じ、なんと彼が眼を開け、眼球も左右に動かすなど明らかに外部からの呼びかけに初めて反応を示してくれました。
彼の復活への道が開かれようとしているものと確信した次第です。
当初、日赤に行くべきかどうか逡巡しましたが、今は、思い切って彼を見舞ったことが本当に良かったと思っております。一日も早く復活の日が来ることを祈るばかりです。
参会の皆さんも相次ぐ暗いニュースの中、安堵の色を示しておりました。
やがて飲み物の影響が出始める頃になると共に、お互い久し振りの対面で皆さん大いに盛り上がり楽しい会となりました。
井上光武君の鼻も怪我から完全に立ち直り、以前にも増して立派な?姿になっていました。生命力の強さを実感しました。
また、永年治療に取り組んでいた鵜飼真君の歯も立派に生えそろい美しい光を放っていました。ただ、物を食べる時きれいな歯が抜け落ちた状態であったのが気になりましたが、新しい歯に慣れる日も近いよと皆から激励されておりました。
女性軍団の方々もパッチワークや日本舞踊などそれぞれの分野で、往年のハチキンパワーを発揮し頑張っておられるようでした。
2時間30分に及ぶ会も皆さん笑顔のなか、次回健康での再会を約し散会しました。
以上、報告します。 7/18
22・6・20 高知の織田 眞作さんからメールを頂きました。
「北川君とホームページを拝見しました。懐かしい写真を見て、若かりし昔に戻って、元気になりました。」
平成22年6月20日」
22・3・20 須賀敏夫さんからの転居通知 続き
昨年末に着工した自宅改築工事も家屋本体の竣工の目途がたちましたので、外構工事を続けながら3月31日に仮住まいから元の住所に戻ることにしました。
短期ながらご不便をお掛けしましたが今後ともよろしく願います。 お知らせまで・・・ 須 賀
21・12・4 須賀敏夫さんからの転居通知
( 転 居 通 知 )
向後に不安を抱えながら、老夫婦・二人の終の棲家を求めてこのたび我が家を建て替えることにしました。若輩の折、時の勢いで建ち上げ、40年住み慣れた家でもあり愛着は拭いきれませんが、経年により人も家も「老い」を認知する中での決断です。
「仮住まい」はごく近場に見つかり、近隣の触れ合いも変わらないままに、快適な転居生活を送っています。来年4月までの短期の移転のため、皆さん方には敢えて「転居通知」を出しませんがご了承ください。
郵便局には了解を取り付けましたし、旧宅には移転先の表示もしてあります。
(転居先) 北烏山7−24−2 (Tel・Fax) 変更なし
暫くの間、ご不便をお掛けしますがよろしくお願い致します。
21・9・24 須賀敏夫さんがペルーへ旅行
チャンス到来!
大韓航空による格安の旅のプランに便乗して、急遽、地球の裏側・南米ペルーに行くことのなりました。
9月26日に出発して10日間の旅程です。
高山病を心配しながらも、富士山(3,800m)や北岳(3,200m)、スイスのユングフラウ(3,500m)などに登った経験に鑑み、クスコ
(3,400m)やプーノ(3,800m)などペルーの高地や山岳地域へのチャレンジです。
無事に帰国できれば、三十会H
Pに拙い紀行の文を投稿」したいと思っています。
21・9・3 須賀敏夫さんの帰高報告
高知地方法務局の呼び出し?で、8月25日〜26日にかけて急遽帰高してきました。
中学or高校の同窓会でも開かれる予定でもあれば便乗のところ空振りで残念でしたが、お陰で墓参の機会を得、先祖に対峙することができました。
用向きは、先祖が保有していた土地が明らかになり、その確認と測量の要が生じたことによるものでした。
また「贅沢なお荷物」を抱え込むことになりました。
急ながら、森岡氏に時間を割愛いただき夕食を共にし旧交を温めてきました。来年の「関東地区会」のPRも怠りなく・・・
在高の面々も息災に送日している旨の話を伺いご同慶の至りです。
久方ぶりに触れた高知の市街が従前に比して綺麗になったという印象をもって帰京しました。
21・8・4 山脇俊彦さんの帰高報告